ずっと欲しかった日常は全て、「天気の子」が教えてくれた
あの日、僕にもずっと欲しかった、夢に描いた日常があった。
“このまま”でいることを嫌がり、描かれた未来を変えようとして、ずっともがいていた。
3年、6年、いや、10年以上も、笑われるほどに、ずっと。
そんな僕でも、ようやく一瞬だけ手にした、ずっと追いかけていたその日常。
それも、大人たちが全部、何も気づかないふりして元通りにした。
ただ、追いかけて、でもそこは行き止まりで、何度か出会いと卒業を繰り返して、帰る場所に手を振ってきたけれど、それでもまた、行き止まりで。
それでも、諦めきれなかった”好き”があって、諦めきれないまま、立ち去った場所もある。
決して変わらない、一番最初の”好き”があった。
そうして泣いて笑ってもがいているうちに、大人になった。
大人になることと引き換えに、新しい毎日ってやつを、失った。
大人になるとは、怖いことだ。
この社会に生きる意味、ここにいる意味を探しているうちに、この狂った世界すら、いつの間にか、当たり前になってしまう。
これが”元通り”なんだと、大人は言うかもしれないけれど。
あの日、何かを追いかけ続けたその先に、走り出した初日と変わらない、あの日のままの自分が立っていたかのように、過去に戻っただけだと、言われるかもしれないけれど。
それでも、そこには帰りたくなかった。
確かなものに迷い、不確かなものを信じようとするのが青春。
“全ては、この日のために”
そう思える未来を、たった少しの今の勇気で選ぶことができるなら、僕はやっぱり、ずっと心を動かし続けてくれた、一番最初の”好き”を追いかける。
大人たちから見放されることを代償に、あの日欲しかった日常を手にすることができるなら、その日常に潜む嫌なこと全部、背負っていける。
まだ、歩けるから。きっと、大丈夫だから。