あの日のことばを探し続ける

あの日こころを動かした、拾ったきりの思い出、忘れられない誰かのことば、感じたままに、綴ります。

大人になるということ (2/2)

翻って、30を越えた僕は、大人なんだろうか。
自己分析的には、子供となんら変わりないと思う。

日々言っていることなんて
「仕事行きたくない」
「明日から本気出す」
リア充しね」
「おなかすいた」

くらいなので、知能でいうとIQ30くらいだ。
これで毎月お給料が口座に振り込まれるんだから、やっぱり学歴大事。

高校生のみなさんは是非先週のセンター試験の優秀な成績をフル活用し良い大学に入り、将来安泰になってほしい。

ちなみに僕は自己採点で645点やらをたたき出し、東大を諦めざるを得なくなり本気で泣いたことがある。
(以降、東大生をとりあえずバカにするようにしている)

涙は人を強くする。
悲しみが、人を大人にさせるのかもしれない。

なお自己採点の結果に納得いかない人は自分の夢まで自己採点せずに、
ムーミンの故郷を知らないだけで点差がつくような幼稚かつなんら本質的でない問題しか出せない出題者のIQが低すぎるだけなので、これだから日本の教育は進歩しないんだと声を大にして伝えてほしい。

このままでは、日本の教育は崩壊する。どうでもいいけど。
日本の教育が崩壊し、子供たちはじゅうぶんな教育が受けられず、いつまでたっても大人になれないという無限ループ。

「働きたくない」とか言って給料泥棒している中年サラリーマンを改革するのはもう無理なので、働き方改革よりも教育改革に力を入れてほしい。


そんな中年サラリーマンが繰り出すバズワード、「大人の事情」「大人の対応」

社会に出ると、(社会人という表現は止めろ。大学生は社会に出てないのか。という問いはとりあえず無視し)
社会に出るとこうした大人のXXXというワードが増える。
いやらしい意味でも、まじめな意味でもどちらでも増える。

エロい意味はそのまま使い続けてくれて差支えない。
ただし、
大人の事情で出来ない仕事なら、初めからそんなもの議題に出す必要は無い。
大人の対応をしますと宣言するということは、それまでは子供の対応をしてたのか。

どっちも、悪化する状況が具現化するまで現状維持を保とうと駄々をこねる、子供みたいな言い訳だ。
大人ということばを添えると、なんとなく僕らはかしこくなったように錯覚する。

そうして駄々をこね続けて、僕たちは大人になった。


あの日。あの頃。

遊びたくて仕方なかった僕らを叱りつけて無理やり勉強させられ、小学校に行けば宿題が出て、好きでもない習い事に通わされ、
「はやく大人になりたい」と思っていたあの頃。

1時間目が終わったら弁当を食べ、昼間にたっぷりと寝て、日が暮れるまでグラウンドでボールを追いかけ、好きな子誰?あの子おまえに気があるぞ、なんて淡い恋バナに花を咲かせ、もうすぐ来る別れの季節に切なさを覚えつつ桜咲く日を待ちわびながら、
「大人になんかなりたくない」と思うようになっていたあの頃。

今、ぼくらのホンネはどう思っているんだろう。
「まだ子供だったあの頃に戻りたい」なんて思っているんだろうか。
それとも「大人になんかなりたくない」って思っているんだろうか。

だとしたら、子供だった頃に戻りたいと思いながら大人になるまいと過ごしている、今の自分はいったい何者。


“そんなくだらないこと考えてるから試験落ちるんだ。勉強しろ”
どこかの大人が僕につぶやく。


うるさい。少なくともお前みたいな大人にだけは、なりたくない。