あの日のことばを探し続ける

あの日こころを動かした、拾ったきりの思い出、忘れられない誰かのことば、感じたままに、綴ります。

もう二度と、転職なんてしない (2/2)

いま、僕は東京という街で、ごく普通に見えるサラリーマンとして生活をしている。
9時から17時まで仕事をして、おいしいものを食べ歩いて、掃除洗濯を自分でこなして、勉強したり、スポーツやったり、ちょっとぎこちなく遊んでみたりお酒に逃げたりしながら、そつなく人生をこなしている。


転職して、何か変わったんだろうか。
大阪を離れ、東京という、全てが揃えられた都会に住みはじめた。
残業はなくなり、もらえるお金は増えた。上司からうるさくマイクロマネジメントされることもなく、自分の意思で手帳に予定を書き込める。

自分の時間も当たり前のように確保できている。


でも。


これが本当に望んでいた人生だったんだろうか。
これが、本当に手にしたかった時間だったんだろうか。

どこか満たされない気持ちが、僕の心の奥底にしみわたる。


本当に欲しいこと、望んでいることを見つけることが大事とかいう、
どこかの安っぽいビジネス書、という名の宗教本に書いてあるようなことは、とてもつまらない。

たぶん人間は、本当に望んでいることを探している間に一生を終えて死んでしまう。
人生なんて、本当の望みを探し続ける一生の旅だ。それも、帰ってこれる場所のない、一方通行の旅だ。
だいたいそんなに夢を見つけることが大事なら、70億人の欲しいものを全て一つのAIチップに打ち込んで、人間の本当に欲しているものなんて瞬時に帰納的に分析してしまえばいい。


そんなもやもやした気持ちを抱えながら、いまだに、僕は生きている。

生きていることは、それなりに素晴らしいことかもしれない。
誰かが「生きていることこそ素晴らしいことだ。全てに感謝」とマルチ勧誘顔負けの自負を抱えてTwitterで叫んでいたが、たぶん相当頭がおかしいのか、あるいは超幸せなのか。
僕らの睡眠を無駄に妨害してくるJアラートにどのように感謝すればいいのか。
むしろ、僕らが目指すべきはその姿なのか。

確かに、僕みたいに毎朝起きたら「しにたい」とBotのごとく言い続けている人間よりは楽しそうだけど。


自分が望んでいたのは、こんな生活じゃない。
自分が充実感を感じることができるのは、こんな時間の過ごし方じゃない。

きっと、5000兆円なんかよりも、もっと欲しいものがある。
そしてその迷走は、生まれてからずっと、どの学校にいてもどの会社にいても、誰と一緒に過ごしていても、出口が見えたことなんて一度もない。

だから、もう二度と、転職なんてしない。