どうせ、すぐ忘れるから
僕は、記憶力が悪い。人の話はすぐ忘れるし、会った人の年齢や誕生日、家族構成も出身地すらも、すぐに忘れる。
話されたことをすぐに忘れるから、たいてい女の子から怒られる。
仕事で面談したクライアントの話もすぐに忘れるから、いつもメモを見返している。
とにかく、記憶力が悪い。覚えようとしても、どうせ、すぐに忘れる。
でもこれは、代償だった。
あの日から今を生き続けるために僕が取った行動の、ほんの小さな代償。
あの日、どうしようもなく苦しかった。朝が来るのも夜になるのも嫌で嫌で、ひたすら後悔と悔しさに襲われて、世の中を恨んだ。
高校卒業したら死のうと思って、浪人している時は怖くて死ねなくて、20歳になったら死のうと思って、20歳になったら怖くて死ねなくて、21歳になったら死のうと思って、まだ生きている。
そんな数学的帰納法のような生き延び方。
死にたいって思ってけど、死にたいなんて思いは、たいてい1億人みんな誰もが1回は思ったことがあるくらい、日常的な気持ちのはずだ。
重い死にたいから軽々しい死にたいまで飛び交っているけど、気持ちの重症レベルは本人にしか知り得ないし、知ろうとする意味もない。
最近、自殺する人と踏みとどまる人の違いは何って聞かれたけれど、自分は自殺したことないから分からない。霊感ある人にでも聞いてくれ。
それでもあの日の僕にとっては、死にたいという気持ちは多少辛かった。
現実を変えようにも、努力しても変わらないし、実力も低いし、リスクを取れない臆病なやつだった。どれだけやっても、何も変えられないと悟っていた。
だから、この気持ちと戦ってなんとか生きることに執着しようと、僕は過去を塗り替えることにした。事実を曲げることはできないけれど、事実は人の記憶の中でしか存在できない。
過去の記憶と、過去に綴った想い出日記を、全て書き換えれば、過去を変えられるはずだ。
でも人間の記憶はどこまでもしっかりできていて、神秘的なほど鮮明に目の前の景色をタイムスリップさせる。
記憶が消せないなら、想い出を捻じ曲げればいい。そう思って、浮かんでくる想い出を次々となぎ倒した。
テープを捏造するには、10年くらいの時間が必要だっただろうか。
単純作業だ。嫌なシーンが出てきたら、それを強制的にカットして、別の思い出を刷り込ませる。たまに、記憶の中の自分の首を切る。
いろんなストーリーをごちゃごちゃに混ぜて、記憶を混乱させていく。
まぁ、人間の記憶はどこまでもしっかりできていて、全部は書き換えられないんだけど。
でも少しは効果があって、あの日の確かな想い出はもう、当時真っ白なノートに鉛筆で綴ったことばの数々でしか残っていない。
でもそれでじゅうぶんすぎるくらい、僕の臨んだ思い出補正が充足される。
それなりに事実らしい過去の出来事が、思い出される。
たまに事実と捏造したストーリーとが混在して、どっちが本当か分からないことがあるけれど、そんなの、どっちでもいいし、どうでもいい。
どうせ、すぐ忘れるから。今を笑っていられれば、それが全てだから。
ただ、過去を塗り替えて、想い出を強制的に抹消することを特訓した結果、その能力が身に染み付いてしまって、それから僕は、想い出を鮮明に残そうとしなくなった。
すぐに、忘れるようになっていた。
もちろん今でもいろんな想い出は存在しているけれど、薄っぺらいことばでしか綴れない、他人事の人生の中のほんの通行人Aが見た景色でしかない。その時何を思ったかなんて、きっと1年後には、忘れている。
自分の人生が、圧倒的に他人事のような感覚。まぁ、完全にではないけど。
記憶力が悪いってたまに馬鹿にされるけれど、何でも馬鹿にされて笑っている方が、世の中は生きやすい。笑顔は最強のその場しのぎツールにもなる。
だから僕は、記憶力が悪い。
どうせすぐ忘れるから、3年先の未来なんて想像してないし、どうせすぐ忘れるから、他人の人生日記なんて、覚えていない。
でもたまに、本当に好きって思えた人のことは覚えているし、もっと知りたいって思うからたくさん誘って話そうとするし、忘れたくないって思う。そういう時は、メモをするようにしている。どうせ、すぐ忘れるから。
記憶はいつだって曖昧で、想い出はいつだって今の感情で塗り替えられる。
でも事実は変わらないし、事実を語るのは、記録でしかない。
だからあの日からずっと、今も、鉛筆と白いキャンバスを持って、感情を書き留め続けている。
そして、そうしようと思って探し続けてきたことばの数々は、あの日から今もずっと、忘れたことはない。