あの日のことばを探し続ける

あの日こころを動かした、拾ったきりの思い出、忘れられない誰かのことば、感じたままに、綴ります。

世の中のほとんどの人は (1/3)

どこからか聞こえてくる、”お客様のために、お客様第一で” の声。
どこからか聞こえてくる、”お前のことを思って” の声。

お客様第一なら、自社のことなんてどうでもいいはずだ。だったら、無賃労働でサービスを提供すればいい。
まだ”安全第一”のほうがよほど守ってほしいし、信頼できる。

こうなるとたいてい、利益がなければお客様にサービス提供できないという、ニワトリトタマゴの議論にもつれ込む。
そして、別にニワトリが先に出現しようが、タマゴが先にぽっと出ようが、僕らにとってはどちらでもいい。
おいしいTKGが食べられるなら、それでいい。

ちなみにこのニワトリトタマゴについて本気で中学生の時に考えたことがあるけれど、僕はやはりニワトリが先なんじゃないかと思っている。
タマゴの中にニワトリの雛がいるならば、それはやはりニワトリが先だ。
そして空のタマゴを割ったらいきなりニワトリが出現するなんて、投稿!特ホウ王国もびっくりの超常現象だ。シュレディンガーの猫かよ。


とにかく、そう。どちらでもいいのだ。
お客様が先だろうが、自社が先だろうが、商売がうまく回れば何も問題ない。
会社にとっては利益を出すことが大事だし、お客様にとってはお客様が良いと思っている (あるいは、良いと騙されて信じ込んでいる) 商品を使え続けることが大事。

何がGiveで何がTakeなのかわからない世の中で、僕らはただ漠然と生きている。

Give & Take。
何も与えられずに、何かを与え続けることは難しい。
その、いわゆる”無償の愛” というシロモノを持てる神様は、この世界にどれだけいるだろう。

最近は親ですら無償の愛を子供に与えず、老後に至って何らかの見返りを求めて子育てをしているという、結婚子育てすらも損得勘定になりつつある。

“いいえ、結婚は損得ではなく愛でするものです” という夢見る少女がいたならば、今すぐ「婚姻費用」という現実を学ぶ機会を、ぜひ義務教育課程に取り入れてほしい。
中学生が教わるべきは、数学でも道徳でもコンドームの付け方でもなく、結婚の法律だ。


自分を犠牲にして他人のために動ける人は、素晴らしい。
でも、そんな人がどこかにいるんだろうか。

取引先同士の関係には、サービス提供と引き換えに利益の享受が裏に潜み
親子の関係には、子供へのお金と時間の注力と引き換えに親の老後の安心確保が裏に潜み
男女の関係には、女性への承認欲求とお金の提供と引き換えにセックスが裏に潜み

そんな世の中で、いったい誰が自分だけを犠牲にできるんだ。


誰かに優しくできるのは、他の誰かが自分に優しくしてくれているときだけ。
誰かを愛することができるのは、自分が他の誰かから愛されているときだけ。

それくらい、僕らの心はとても弱い。


そう。
世の中のほとんどの人は、他人のことなんてどうでもいいと思っている。