あの日のことばを探し続ける

あの日こころを動かした、拾ったきりの思い出、忘れられない誰かのことば、感じたままに、綴ります。

できない人はできる人論をつぶやき、できる人はそれを実行に写す

「デキない人 vs デキる人」論争が、日本の社会で盛り上がってから久しい。

1:7:2の法則。
1割の秀才が7割の普通と2割のバカを養っているのが会社の実態なので、9割の人はできない奴に分類されるはずなのだが、
どうやら人間ってやつは「自分だけは違う。俺はできる。」と思い込んでしまうらしい。

9割のできない人達が9割のできない人達同士で見下し合っている平和な一日が、今日も静かに幕を開けた。


中学受験、いや、小学校受験、いや、もはや親の頭がおかしいとしか思えない儀式である幼稚園のお受験の時代から、子供は点数によってランク分けされることに慣れている。
大人が勝手に決めつけた公平な評価基準に基づいて、厳格かつ客観的かつ公平に点数付けがなされ子供たちをランク分けし、できる人とできない人をフェアにふるい分けする作業を行っている。

そうして育った僕たちは、大人になっても他人をランク付けすることが大好きだ。
ランク付けするのは、年収や残業時間といった客観的数値に始まり、住む場所や人間的風格といった非数値的な情報まで様々だ。

ちなみに、住む場所を土地代に数値化したり、風格をファッションの値段に数値化したりするようなビジネスも登場し、今日の価値経済の根底が築かれていったのが今の日本社会である (違う)


できる人はできない人を見下し、できない人はそのまたできない人を踏み台に優位に立とうとするという、地獄のカースト制度。
人間社会なんて、精神的蹴落とし合いみたいなものだ。


争い事は良くない。戦争反対。
1割の秀才が、7割の普通と2割のバカを支えているのだから、僕ら平民は黙って1割の天才に身をゆだねれば良いのだ。
天才らの言うことを、へーさすがですねへー知らなかったへーすごいですねへー先輩かっこいいへーそうなんですか、と公式を暗唱する如く唱えておけばいい。
ちなみに「せ」は、センスいいですね!を指すこともあるようだが、大抵マジな秀才は服のセンスは悪い。

とにかく、そうすれば、みんなに妬まれるようなできる先輩は満足して目の前から去ってくれる。
そのまま一生消えてくれればいいのに。


世の中にはいろいろなバックグラウンド、個性、スキル、得意不得意を持つ人がいる。
会社という存在はその1億人の中から恣意的に何人かを選んで従属させているだけなので、もちろん社内の人間の持つ個性もバラバラになる。

しかしどうしてか、会社ではできる人が重宝される。
そして、できない人達を罵倒しにかかる。

できる人とは、どういう人だろう。
目の前の作業を効率よく裁き、そこに潜む的確な問題を発見し、それに対する有効な解決策を提案し、着実に実行に移す人か。
人間関係を荒立てず、うまく舵を取って周囲を巻き込み、コミュニケーションを円滑に回す人か。
お姉さんお兄さん肌で、優しくいろんな人の手助けを進んで行う人か。
格別なリーダーシップを発揮し、周囲から慕われてチームを成功に導く人格者か。


ある自己啓発本を見ると「それら全てが重要だ」と書かれている。
「全部やれ」というのは、戦略が無いのと同じである。
どう見ても出来ない人が書いたとしか思えない自己啓発本だ。

それら全てが出来るI’m a Perfect Humanがこの世の中に居るわけがない。
「自分こそは」という人は、ぜひ「世界でいちばん貰っても嬉しくないで賞」である国民栄誉賞の獲得をめざし、にちゃんねるのコテハンでも使って自己発信に励んでほしい。


できる人って、いったいなんなんだ。


得意不得意がみんな違うのに、どうやってその指標を比べることができるんだろう。
人はみなそれぞれ違うんだから、そんなに比べようとしないで誰もがそれぞれ個性を持ったオンリーワンでいいじゃないかとどこかの有名グループも歌っていたのに。

会社とは言ってみれば、同じ目標・価値観・理念・行動指針を共有した人たちの集まりだ。
理念共有型コミュニティとでもいえば良いだろうか。

みんなが一つの目標に向かって、一致団結してそれぞれの役割分担をこなし日々励んでいる集団である。
たまにさぼったり、会社の資産を使って遊んだり、責任を押し付け合ったりしながらも、
それなりにゴールに向かってチームでがんばっている集団である。

ウチの社員は理念も目標もまったく分かっていない!!!
と怒鳴っているそこの中小企業の社長さんは、まず自分の魅力がないことに気づいた方がいいかもしれない。
人間なんて、興味もない他人の考えなど基本的に分かろうとしないものだ。
給料をエサに釣ってもムダ。

とにかくみんな、それなりにある程度は同じ目標に向かって活動している。
それは売上達成であったり、顧客満足度向上であったり、離職率低減であったり、色々あるかもしれない。
それを達成するために、あの手この手で日々試行錯誤を繰り返している。

そして、それぞれみんな役割や時間配分が違うのに、できるもできないもあったものじゃない。


それなのに巷で噂のデキる人論争信者は、どうしてこうも比べたがる。

できる人は会議5分前に着席しているというけれど、
どうせ会議なんてプロジェクタがうまく起動せずに5分遅れて開始されると見込んで5分遅れで来た人は、
自分の時間を5分たりとも無駄にしなかったデキる人かもしれない。

できない人は報告が遅いというけれど、
じゅうぶんな事実情報もつかめていないまま頭の悪い上司に報告して事を荒げようとせず、
しっかりと情報収集し分析して、仮説とともに上司に提案報告するほうがデキる人なのかもしれない。

そういった「できる人論」の持論を展開する人は、たいていの場合評論家気取りであり、放っておけば良い。
では、そのできる人諭を実行に移す人はどうか。
5分前行動と本に書いてあったから今日からさっそく5分前行動しましたという人は、ちょっと短絡的に聞こえはしないか。

本を読んで、なにもしない人。
本を読んで、ただ行動した人。
行動してみて、良し悪しを判断したはいいけれど何もしない人。
行動してみて、良し悪しを判断して、改善してまた行動に移す人。

下に行くにつれて、理性的には ”できる人”だと思われやすくなる。
でも、改善して行動してダメでまた改善して…とがむしゃらに繰り返している人は、周囲からはバカみたいに見える。それを見下す人もたくさんいる。
仮に上手くいって成功した先に待っているものは、孤独だ。

もはや、何を見下すべきで、何が本当に尊敬すべき行動なのかもわからない。
誰が誰をどう思っているのかもわからない。


今日もいつものように出社をする。
何も変わらず事業部長が奥に座っている。
思考は冴えないし、動きも遅いし、パソコンもろくに使えないのに一日中デスクの前で何かの作業をしている彼は、できない人に分類されてもおかしくない。
新人のほうがよほど目の前の業務を高速で裁いているのに。

でも、何を言おうと事業部長。できる人が座るべきランクだ。
社長ともそれなりにうまくやっているし、他の事業部長との仲も良い。
だから、会社はそれなりに回っている。


空気を荒立てず周りと仲良くやり、与えられた仕事を淡々とこなし、さぼりながらちょっと残業して飲みに行って、愚痴を言い合いながらビール片手に思い出話に花を咲かせる。

それが、彼の周りにとっての幸せ。自分の人生をうまく回している、できるやつだ。


できるって、なんだ。