あの日のことばを探し続ける

あの日こころを動かした、拾ったきりの思い出、忘れられない誰かのことば、感じたままに、綴ります。

東京って、効率の悪い街なんだろうか (2/2)

僕らの欲望を果てしなく満たし続ける街、東京。
本当に、本当にこの街は便利なんだろうか。

それとも、僕たちは東京で消耗し続けているのだろうか。
誰かが嘲笑していたように。



何にお金をかけるのが一番良い。
銀座に蔓延る高級料理店を巡り続けるか、伊勢丹メンズ館で数十万円するジャケットを買い続けるか、それとも出会い系アプリに課金するか。

何に時間をかけるのが一番良い。
自己啓発と称してひたすら読書し続けるか、ジムにいって自分を鍛え続けるか、それともただ多摩川を散歩し続けるか。

どこに住むのが一番良い。
港区男子が独走をひた走る六本木か、風情とにぎわいとか混在するデートタウン中目黒か、それとも昔ながらの優良物件、田園調布か。


そして、何を求めれば良い。
金か自由か食べ物か。それとも恋愛か。
金が欲しければ、人の足りない引く手数多な業界で働けばいい。自由が欲しければ、フリーランスにでもなればいい。食べ物が欲しければ、コンビニで買えばいい。

手に入らないものは、金で買えないものだけだ。人の心は、金で買えない。

いや、Brain Computer Interfaceが発達し、その機械を1億円で買うことができたなら、人の心を1億円で動かせるのだろうか。
そうして人間の脳波がWiFiで繋がれたら、僕らは無意識のうちに、ロボットに思考を操作されてしまうのだろうか。AI怖い。


そうして物欲で満たされた僕たちは、新しく承認欲求を求め始めた。
SNSのフォロワーとか、youtubeの視聴者数とか。
無理矢理仲間を集めて撮った集合写真に付けられる、いいねの数とか。


いつの間にか僕らは、自分が本当は何が欲しかったのかを見失っている。
ただ、誰かが決めた価値観に飲まれて、それを求めて生きている。

「これを持っている人は、」
「これをやっている人は、かっこいい」

そして、その価値観を誰が決めたのかは、誰も知らない。
もしかしたら本能的に遺伝子が決めたのかもしれないし、もしかしたらどこかの宗教が決めたのかもしれない。

しかし、その価値観を否定する人は居心地が悪くなり、自然にこの街を去っていくのだろう。
それを止める人もいなければ、洗脳されていることを教えてくれる人もいない。


どこか違和感を感じながら、今日も一日数万円を稼ぎ出し、家賃10万円の家に住み、10万円のジャケットを身にまとい、
銀座の鮨屋でデートを重ねながら、バーでワイングラスを傾ける。

これくらいのステータス、きっと低いくらいだ。この街にとっては。


続いていく、この、東京人生ゲーム。