あの日のことばを探し続ける

あの日こころを動かした、拾ったきりの思い出、忘れられない誰かのことば、感じたままに、綴ります。

ジョブホッパーにも市民権を (2/2)

能力がない。お金がない。スキルがない。人脈がない。時間がない。
こうした言い訳をすると、たいていのすごい人は「そんなの言い訳だ。行動してないだけだ。」と批判してきたりする。

ホリエモンなんかはこうした論法が得意で、日曜の午後にカフェで優雅に本を読んでいる、
ちょっと心に余裕のできた意識高い系読者の心を動かしている。

日曜の午後はたいてい、休みであることをいいことに寛容な広い心で明るい未来を夢見るか、
あるいはサザエさんシンドロームに向けてやる気が急降下しているかのどちらかなので、
こうしたお話はとても胸に響くものだろう。

何もないならば、今から動いて自分の力を高めていけばいいと。


でも本音を言うと、それが出来たら、何の苦労も要らない。
僕ら人間はみんな、現状維持を望むようにできている。

来月も同じ収入が得られることを望み、明日も同じ家に住めることを望み、1時間後も水道をひねったら水が飲めることを望んでいる。

だからこそ300日に1日くらい、水道をひねったらうどんのつゆが出てきてほしいという非日常を望んだりもできる。
うどんのつゆしか出てこない香川には、僕は2時間くらいしか住みたくない。

ちなみに僕はある朝会社に来たら、日本中の全てのインターネットインフラが故障し、
一切仕事ができなくて会社が休みになるという非日常を毎朝望んでいるのだが、それが叶ったことは一度もない。


とにかく、現状維持を心から望まず、常に変化を求めて動き回っている人は、
その人は異常であるか、特異的に自意識過剰な意識高い系かのどちらかだ。

ジョブホッパーなんて変化を求めて行動を続けているように見えて、
実は「自分の心を安定させるため」の現状維持的な行動にすぎないのかもしれない。


環境を変化させなければ自分の自尊心が保たれないし、急降下していくやる気が落ち着かないから、行動しているだけだ。
だが人はそれを「変化を恐れない人」と呼ぶ。

だから、何も珍しい人じゃない。
ただちょっとだけ、この年功序列の日本社会では変な目で見られてしまうだけのこと。


世界を変えるのは、変化を恐れず、危険を選んで行動を起こす1%の改革者だけであり、その人たちはほんとうに素晴らしいと思う。

けれど、自分がそうなりたいかと言われるとそうなりたいと答えるが、やれと言われるとやりたくはない。
なんとも無責任な人間であるが、それでいい。そのほうがいい。


成長とかキャリアアップを求めてひたすら転職する人のことを、僕は一切信用できない。
というかもはや、成長やキャリアアップという言葉を使う人を信用できない。
成長、感謝、努力、夢...

そんなものより圧倒的成長(笑)、死にたい、働いたら負け、現実見ろ...のほうがよっぽど好きだ。
Facebook映えよりも、Twitter映えしている人のほうが信用できる。


ひとつだけ真面目な話をすると、もし自分の力で生きていきたければ、誰にも負けない専門性を磨こう。
専門分野さえあれば、この荒れ狂うイノベーション社会の中でも、きっと生きていけるから。