迷ったら左、ではなく、時間がかかるほうを選べ (1/2)
「理系にするか、文系にするか」
なんだかテクノロジーやら起業やら経営やらフリーランスという浮かれワードが叫ばれているこの時代、
12月も後半になり将来について考えながら受験勉強を控える学生は今頃、人生の岐路に立たされていることだろう。
「スペシャリストになるか、ジェネラリストを目指すか」
なんだかテクノロジーやら起業やら経営やらフリーランスという浮かれワードが叫ばれているこの時代、
12月のボーナスが少なすぎて会社を一刻も早く辞めて自由になりたいサラリーマンにとってもまた、人生の岐路に立たされていることだろう。
1年は早い。
みんなが「もう今年も終わり」とか「1年あっという間だった」とか言うから
理系の自分は「もしかして人間行動論として1年はあっという間であるという命題が帰納的に証明されているのだろうか...」と分析してしまいかねないくらいだが、そうだとしても1年あっという間だった。
あと1週間もすれば、みんな2017年を振り返りはじめる。
あっという間なくせに、振り返りだすとけっこう止まらないものだ。
振り返って反省して、やりたかったけどできなかったことや笑い話をつまみにお酒を飲み、
「来年はがんばるぞ」と目標でも立てて新年を待ちわびる。
さぁ、来年は新しく何を始めようか。
生きる事とは、選択の連続だ。
どんな目標を立てるか。どの夢を捨てるか。
今起きるか、二度寝するか。会社に行くか、行かないか。このメールを返すか、未読削除するか。
いつ帰って、夜何時にお風呂に入って、何の動画を見るか。
毎日毎日、僕らは無意識のうちに選択を迫られている。
一日86,400秒の中で、何かを選びながら他の何かを捨てて生きている。
何を選んでいいのか、自分は何がやりたいのか分からなくなるが、それでも時間は待ってくれないまま「何もしない」をしてしまう時もある。
しかしそれもまた、選択だ。
ビジネスの世界では、それを意思決定、あるいはディシジョンメーキングと呼ぶが、要するに「今日の夕飯何にする」問題と同じことだ。
から揚げ定食を選んで体内のビタミンCが不足するというのは、
見込みのない予算に書かれた新規プロジェクトの実行を選んで社内の人材が疲弊することと同値である。
もっと社内の人間を大切にしてもらいたい。
まったく。僕が今までの人生で選択をしてきた場面の判断基準は、全てテキトーなものだった。