あの日のことばを探し続ける

あの日こころを動かした、拾ったきりの思い出、忘れられない誰かのことば、感じたままに、綴ります。

自分なんて必要ないと思ってからが、はじまり

自分の存在って、なんだろう。

世の中を忙しく生きていると、たまにそう思うことがあるだろうか。

誰もが、必要とされたいと思っている。
それを友人に求めたり、仕事に求めたり、恋人に求めたりする。
ある人は、バーチャルの世界に求めたりもする。

自分が生きている意味を知りたいのか。それとも、生きている理由が欲しいのか。
きっとそれは”生きる意味がわかる”なんていう怪しい宗教の教えなんかじゃ満たされなくて、
肌の触れる距離で、現実で、それを確かめたがる。


もっとも簡単に自分を満たす方法。それはたぶん、仕事をすること。

仕事に就けば、勝手にやらなきゃいけないことが降りかかってくる。
それをただこなすだけで、なんだかよく分からないけど自分は行動している感じになれる。
なんだかよく分からない漠然とした目的に向かって動いているだけで、自分は生きている気になれる。

会社というのは、素晴らしいシステムだ。
大企業の風習や新卒一括採用の伝統や社員研修の無意味さを唱える人もいるけれど、それでもやはり、企業とはすばらしい仕組みで成り立っている。

そこに入れば、必ず、やることがでてくる。
例えそれがお茶くみでも、請求書を処理するだけでも、パソコンにデータをひたすら入力する作業でも、やることは無限にある。

そこに居るだけでやるべきことが見つかって、ましてや給料を貰えて、少しは必要とされて承認欲求満たされる世界が、そこにある。


それなのに、人はまた、より良い居場所を求めてさまよい続ける。
仕事がつまらないだとか、人間関係が希薄だとか、給料が安すぎるだとか。

みんな、今よりも良いものを楽して手に入れるために、動き続ける。
理想を求めて、理想の自分を探し求めて、仕事を選んで、仕事から逃げる。

逃げた後の仕事は、次の誰かがやってきて、同じように同じことを繰り返す。
かつて誰かが満たしていた心の不満を、今いる誰かが同じ不満を満たしている。

それなら、別に必死になって自分がやる必要なんてないんじゃないかって。
そう思うこともある。

会社に入ってやってる仕事なんて、他の誰でもできるものばかりだ。
別に自分に特別な力があるわけもなく、自分に特別な魅力があるわけでもない。

ただ、たまたまそこに居るから、与えられた仕事をこなしているだけ。
会社にとってみれば、誰でもいい。


そこに意味を見出そうとするのは、人間のさみしい心なのかもしれない。
でも、そうでもしないと、生きることが苦しくなってしまう。
自分がやるべき理由を、見つけようとする。

虚無感に浸りたくないなら、自分の何も無さを見つめ直そう。
誰でもいい。自分がいなけりゃ、誰かがやる。
それくらい気楽に生きていたほうが、幸せなのかもしれない。


自分なんて、必要ない。

そう思ってから、何を初めて、どう行動するか。
そこからが、自分の生きる意味を見つける第一歩。