あの日のことばを探し続ける

あの日こころを動かした、拾ったきりの思い出、忘れられない誰かのことば、感じたままに、綴ります。

世の中のほとんどの人は (3/3)

“行動することが一番大事”
“悩む前に、まず、やってみろ”

そんな自己啓発本が巷でブームを巻き起こしてから久しい。
考えるだけならだれでもできる。実際に行動を起こす人だけが、成功するらしい。

それに感化され、何も考えずにその言葉を信じ、見切り発車で行動した人の多くは、失敗する。
現実の光と影。



Twitterという、圧倒的に無駄な時間を搾取されるが時に超有意なニュースをどこよりも早く入手できるという、天と地を行く革命的アプリが世に出されてから、これまた久しい。

かつて、にちゃんねるというサービスが世に登場し、サブカル民、アングラ民をにぎわせたことがある。
電車男が登場した当時、僕はまだ、たしか高校生だった。

来る衆議院議員総選挙10月22日には、「名無しさん@そうだ選挙へ行こう」に、また変わるのだろうか。
そして、投票行って外食するのだろうか。


コテハン

無記名が基本の掲示板で、名前を固定して発言を繰り返す人物を、そう呼んでいた。
そいつがたまに、面白いストーリーを展開してくれたりもする。

Twitterなんて、全員がコテハン2ちゃんねるに近いものがある。
自分の存在を主張したい人達の集まりだ。

匿名性を保ちつつも、自分のブランディングを確立するために、名前を付ける。
何を言っても罰せられることもないし、本人が誰だかわからないのだから社会的に隔離させることもない。
リスクを取らずに、思うがままに発言できる。

もっとひどいと、自分が言っていることは正義だと思い込み、
匿名であることをいいことに盛大に世の中への批判を流暢な日本語で語りだす人もいる。
自意識過剰とはこのことか。

いや、もっとも匿名でブログをやっている人なんて、その典型だ。
つまり、僕もまたこの部類に過ぎない。でも、それでいい。
ブログなんて、書いている本人が楽しんで書いていることがいちばんだ。
書くことが義務になった瞬間、その記事の個性は死滅する。


いずれにせよ、本性を隠してネットで意見を飛ばしている限り、行動した気になれるのだ。
“自分は何かをしている”という満足感を得られる。何のリスクも負わずに。


あたまのわるいひとのツイートをただリツイートしているだけの人がいる中で、あたまのわるいひとのLINEスタンプやぬいぐるみを作って笑いを生み出している人がいる。
彼女とデートなうという素材を使っている人がいる中で、リアルに彼女とデートしている人がいる。

どちら側になってもいいし、どちらが幸せかということもない。
好きなように生きればいいし、別に人生がつまらなければ自ら死を選んでしまっても何も問題ないと思う。
そう言うとすぐ人間愛護団体から飛んでくる「自殺はよくない」なんていう主張。
こんなのは、ただの思考停止に過ぎない。


ただ、何かを生み出そうと行動している人は活き活きしているし、既にあるものを批判して悦に浸っているよりもかっこいい。
そう思うのは、僕だけか。それとも、ただの夢なのか。


そう。
世の中のほとんどの人は、行動せずに評論家になる。